19 世紀のイランにおける「タバコ運動」:近代化への抵抗と西欧の影響の波紋
19 世紀後半、イランは西欧列強の影響力が増大する中、伝統的な社会構造と近代化への対応をめぐる葛藤が激化していました。この時代を象徴する出来事として、「タバコ運動」が挙げられます。
この運動は、1890年から1892年にかけて、イランで起きた大規模な抗議活動でした。きっかけとなったのは、当時のイランの君主、ナセルディン・シャーによる外国企業への独占権の売却でした。英国系の企業がタバコの独占権を獲得し、このことがイラン国内の宗教指導者や商人などから猛反発を招きました。
なぜタバコ運動は、イラン社会に大きな波紋を広げたのでしょうか?
まず、タバコは当時のイランにおいて重要な嗜好品であり、その生産・流通は多くの雇用を生み出していました。外国企業による独占は、イランの経済的自立を脅かすものと捉えられ、国民の怒りを買いました。
さらに、この事件は、宗教的な観点からも大きな問題視されていました。タバコはイスラム法では禁じられており、その生産・販売に関与することは信仰に反すると考えられていました。
タバコの独占権をめぐる抗議活動:宗教指導者と国民の結束
タバコ運動は、単なる経済的な問題にとどまりませんでした。これは、イラン社会における伝統的な価値観と近代化の矛盾が露呈した事件であり、西欧列強の影響力に対する強い抵抗を示すものでした。
運動の中心には、シーア派イスラムの最高指導者である「ウラマー」と呼ばれる宗教指導者がいました。彼らはナセルディン・シャーの政策を「非イスラム的」と断罪し、国民に対して抗議行動への参加を呼びかけました。
この呼びかけに応じて、イランの人々は一斉にタバコをボイコットし、外国企業の製品を拒否するようになりました。さらに、大規模なデモやストライキが行われ、首都テヘランだけでなく、全国各地に運動が波及しました。
ナセルディン・シャーの屈服と「タバコ運動」の意義
ナセルディン・シャーは、国民の怒りに対抗できず、最終的にはタバコの独占権を廃止することを余儀なくされました。この出来事は、イランにおける近代化への抵抗を象徴するものであり、西欧列強の影響力に対する国民の強い意識を示すものとなりました。
「タバコ運動」は、イランの歴史において重要な転換点となりました。
- 国民の意識の高まり: 運動を通じて、イランの人々は自らの権利と伝統的な価値観を守るためには、団結して行動する必要性を認識しました。
- 西欧列強の影響力への抵抗: イラン政府が外国企業に対して屈服したことで、国民は西欧列強の介入に対する警戒心を高めました。
- 近代化への道筋の変化: 運動の結果、イランの近代化は、従来の王政中心のモデルではなく、国民参加型の新しいモデルへと進む必要性が認識されるようになりました。
「タバコ運動」は、19 世紀のイランにおける社会・政治体制の転換期を象徴する出来事として歴史に刻まれています。この事件を通して、イランの人々は自らのアイデンティティと未来に向けた決意を示しました。